雨宮処凛の本を読みまくる

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先週読んだ、雨宮処凛の「なにもない旅 なにもしない旅」が大いに気に入った。
旅の内容云々よりも、こういうショボイことを真剣にやる
雨宮処凛という人間そのものが、ものすごく気になった。

そんなわけで、Amazonで雨宮処凛の本を買いまくり、読みまくったのであった。
私はちょっと好きな作家が出てくると、徹底的にその人の本を読みまくる傾向がある。

雨宮処凛はこんな人である。
・中学時代のいじめが原因で、リストカットを繰り返す。
・高校時代はビジュアル系バンドのおっかけに明け暮れる。
・美大受験を目指し、上京し浪人生活を送るが、受験に失敗しフリーター生活に入る。
・バイトはしょっちゅうクビになり、打ちのめされオーバードーズで病院に運ばれる。
そんな「生きにくい」自分をさらけ出し、多くの人の共感を得て、作家という現在の地位に至る。
・左系の活動家。

いいんです、なんか。
冷めた目から見ると、ただの青臭い人生論なのですが、いいのです。
世間一般の「おりこうさん」の視点で見ると、ただの左翼の実現不可能なたわごとなのですが、いいのです。
とにかく正直に自分をさらけ出しているところがいいのです。

この本を読んで、よーし、俺もバリバリ労働運動やって、メーデーに参加しちゃうぞ!
という気分には全くならないが
自分の好きなことに激しく全力投球しつつあるように見えて、ちょっと脱力感入っているところがいい。

私自身、結構、彼女の指摘する「生きづらさ」を感じて三十数年過ごしてきたわけであるが
その「生きづらさ」の原因は、とどのつまり、自分を偽っているところにあるのではないか。
人によく思われようと、自分を出さないところにあるのではないか。

昨日の日記で
「好きなことだけをやり、わがままに生きて、みんなに嫌われて、誰も悲しまないように死んでいきたい。」
などとほざいていたが、現実の私は自分で言うのもなんだが
そのような理想とはかけ離れた生き方をしている。

それでもってどうなるかと言うと
「誰も本当の自分はわかってくれない」という状況に陥る。
そりゃ、本当の自分を出してないもん、わかってもらえないのは当たり前だ。

しかし、評価軸が自分でない他人ということになると
「でも、本当の自分を出したら、みんなに嫌われるのではないか」と恐れる。
私が教員時代失敗した、最大の原因はここだと思っている。

まとめると
「本当の自分をわかって欲しい!でも、本当の自分を知ると、みんな私のことを嫌いになってしまう!」
という被害妄想で、ますます自分を苦しめ、「生きづらい」人間が出来上がるのである。

じゃあ「本当の自分」を出せばいいじゃないかという意見もあるのかもしれないが
自分を抑圧し、騙している生活を送っているうちに
何が本当の自分なのかますますわからなくて、もうアジャラカピーである。

というか、今、ここで書いていることも、本当に自分が思っていることかどうなのか疑わしい。
ただ、こんなことを書いて、他人の興味を引きたいだけなんじゃないのか。
ますます、書いていくうちに、自分のアイデンティティが消失されていくような気がし
「ちょっと待った、今まで書いたことは全部ウソだから」と
今まで書いた文章を全部消したいような気がしたが、もったいないので残しておくことにする。

ということで、「本当の自分」探しの旅に出たいのです。
40も近いおっさんが「何が自分探しだ」と思うかもしれないが
今の私の希望としては、自転車で半年ぐらいロシアを駆け巡りたいです。
「本当の自分」がわかった暁には、人が変わったように働いて
必ずや、世のため人のため会社のために
例え、火の中水の中、どんなところにも飛び込む覚悟ができていますので
どうか3年ぐらいの有給休暇をくださいと、本心でもないことをのたまいつつ、今回の日記を終わる。
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by gossy54200 | 2010-11-27 02:18 | 読書 | Comments(0)  

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