ブロンプトンで行く道道740号線(その9 大成編 太田地区よ永遠なれ)
北檜山編 その2 その3 その4 その5
大成編 その6 その7 その8
太田の漁港は水が止まっているかのように静かで美しかった。

太田の岩は人を寄せ付けない厳しさがあった。

左上部分を拡大。「太田」の文字がデザインされている。

メインストリートの街灯も「太田」だった。

太田の商店は「氷」と「永」の区別がつかないようだった。

この場合は「アイス」という枕詞があるので、「ああ、氷なんだな」と判断できるので問題ない。
問題は、私の高校時代の国語教師が漢字を教える立場だったにも関わらず、平気で「氷」と「永」を書き間違えていたことである。
あのときのセンセー、まだ生きてるのかな。
それにしても静かだ。静か過ぎる。
私の耳がおかしくなってしまったのではないかと思うぐらい、ここでは何も聞こえない。
ひとりで、静かで、豊かで…。
誰にも邪魔されず、自由で、何というか救われたような時間が過ぎていく。
(※ 参考文献「孤独のグルメ」)
すべてを忘れて、ここでボーッとしていたい。
一日中、いや、一週間ぐらいボーッとしていたい。
さすがに一ヶ月はちょっと飽きるので勘弁願いたい。
へえ~、こんなところにも小学校なんてあるんだ。

よせばいいのに、行ってみようと思ってしまう。
小学校までは激しい坂道を500mぐらい進まなければならない。

ただの砂防ダムなのだが、ここ太田では、ナイアガラの滝のように迫力があるように感じる。

行き止まりのところに、唐突に小学校は現れた。

小学校は現在は閉校となっており、災害時の避難所として使われている。

調べてみると、この学校が2001年と21世紀の始めまで存続していることに、大いに驚いた。
人口100人足らずのこの集落に、平成二桁の時代まで学校があったんだなあ。
かつてはここも、多くの子供たちの元気な声につつまれていたのだろうか。


当時の太田っ子は、どこに「翔け」ていったのだろうか。

理由はないが、ここの小さい集落にも、人々の生活があって、ここの子供たちも夢を持ちながら、この学び舎で勉強していたことを忘れてはならないと思った。
絶対に忘れてはならないのだ。
さようなら、太田小学校。
学び舎よ永遠なれ。
せっかく静かに眠っているところを、私がたたき起こすようで申し訳なかった。
これからも高いところから、太田の人々の生活を見守っておくれ。
坂を下る途中からの海。

太田の海は青いなんてもんじゃなかった。
それはもう「碧」としか表現できないぐらい碧かった。
もう少しこの地にいたかった。
この安らかな空間に身を任せていたかった。
しかし、私には1時間半後に「卓上四人制中国語講座」という国際的イベントが待ち受けていたのであった。
そう、私は普段遊んでばっかりのように見えるかもしれないが、立直とか和了とか国士無双とか、中国語を自由自在に操る国際人なのであった。
さようなら太田。

さようなら。

さようなら。太田地区よ永遠なれ!

こうして私は、太田の集落を結ぶ帆越山トンネルを再び通り、「うわ~、急がんと麻雀遅れるぅ」と思いながら、一心不乱にペダルを漕ぎ、道の駅に戻り、自転車を畳み車に積んで、ブォーンと北檜山まで車を走らせ、無事に中国サミットに間に合い、半荘10回ぐらいを満喫して、翌日はほとんど仕事にならなかったのであった。
(このシリーズ終わり)
by gossy54200 | 2012-06-08 21:21 | ブロンプトン | Comments(4)