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2019年サロマ湖100kmウルトラマラソン反省会

ゴール後。

完走メダル、スポーツドリンク、タオル、食券(1000円分、競技場に設置された屋台で使える。オホーツクサイクリングと同じ方式)をもらい、体育館で荷物を受け取り、着替えます。
脚は完全にバキバキで、攣らないポイントを探すのが難しいぐらいの状態で、たっぷり30分ぐらい時間をかけて着替えをしました。
このときの着替えのための膝の曲げ伸ばしが、本当に走ること以上に苦行でした。
んでもって、着替えた後、ランニングシューズを履くのも苦痛でしたね。
サンダルをもってくればよかったです。

スマホの応援ナビで、ラン仲間の途中経過をチェックしながら、ゴール地点へと向かいます。
ウルトラのゴールは、フル以上にランナーの皆さんに「やりきった」という表情が出ていて、清々しい気持ちになりました。
陳腐な言葉ではありますが、ウルトラマラソンはゴールしたランナー、いや、例え途中棄権したとしても、100%の力を出し切ったランナー、そして、ランナーを支えてくださったエイドの皆様、沿道の応援の皆様、大会に関わった全員が主役なのです。

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仲間のゴールを見届けて、レース中にやられていた胃も回復したので、ほたてカレーを食べます。
今月末の「北オホーツク100kmマラソン」でも、ゴール後にシーフードカレーが振る舞われるので、それの予行練習です。
多分、普通の状態で食えばうまいんだろうが、疲労でやられているのか、うまいのかまずいのかもわからないぐらい味覚がぶっ壊れております。
ごちそうさまでした。

でもって、シャトルバスに揺られてスタート地点に戻り、そっから北見のホテルに向かい、一泊して、おみやげに「赤いサイロ」を買い、阿寒湖経由で無事故無違反で釧路に帰って、長い長い初めてのサロマ湖100kmウルトラマラソンが終わったわけでした。

めでたしめでたし。


さて、こっからは今回のサロマの反省会です。

《ペース配分》

前半50km 4時間26分10秒
後半50km 5時間23分8秒

20kmまでキロ5ペースで突っ走っていた時点で予想はできましたが、後半はかなり落ち込みました。
ただ、思ったよりは「早く」落ち込んだが、思ったよりも「大きく」落ち込まなかったなあと。
最悪でも、ほぼ歩くことなく「キロ7分」ペースで行けたことから、無理して前半で「貯金」を作らずに、もう少し上手にペース配分できていたら「サブ9.5」も行けたのではないかなあと思います。
そこは次回以降の課題ですね。

序盤突っ込んだ原因としては

・スタートロス+渋滞+トイレロスを取り戻そうとした
・集団に引っ張られた
・NIKEズームフライフライニット(ZFFK)効果

というところでしょうか。

普段ぼっち走の私の場合、どうしても大会になると、周りに引っ張られて、普段以上のハイペースになる傾向があります。
とは言え、きっちり時間管理して、意識的にスローペースで入ると、かえって窮屈な走り方になり、後半消耗してしまうことも考えられるので、「時計よりも、いかにラクなフォームで走れているか」というところが、序盤のチェックポイントになると思います。

ただ、渋滞でも「フルと違ってウルトラは先は長い」と焦らないようにしなくてはいけませんね。
まあ、とどのつまりは「もっと早くスタート地点に並べ」ってことなのでしょうが。

《ウルトラマラソンとZFFK》

市民ランナーに旋風を巻き起こしている「NIKE厚底シューズ」。
果たしてウルトラでもNIKE厚底は有効なのか?

私の感想としては

序盤は反発力に助けられ、終盤はクッション性に助けられた

というところです。

足裏にマメや水ぶくれができるというトラブルは一切なく、正直、ASICSのスカイセンサーグライドでフルを走っていたときの方が、足はキツかったです。
この辺りは、シューズだけでなく、接地の意識をフルとウルトラで変えたことにもあると思いますが。

ただ、結果的に序盤ハイペースになってしまい、思ったよりも早くタイムの落ち込みが来たというところについては

シューズの性能に脚がついていかなく、ペースダウンを余儀なくされた

という考察をすることもでき、フルと違ってあえて「序盤でスピードが出しにくいシューズ」を選択するというのもありかなあと。
具体的には、ASICSのゲルカヤノとかMIZUNOのウエーブライダーとかのクッション性を重視した重いシューズが、案外「キロ6」ペースでよい「サブ10」レベルでは有効なのかもしれないと思ったりしています。
「ウルトラも薄底シューズでよい」という指導者もいるようですが、後半、足裏が痛くなっていくときに、シューズのクッションで痛みが軽減できるなら、クッションはあるにこしたことはないというのが、実際に100km走った私の感想です。

ZFFKもよいのですが、私のかかとの形状と合わないことと、耐久性に難があるので(あと、お高いし)、来シーズン以降のウルトラではもう使わないかあ。
HOKAのクリフトン辺りもいいなあと思っていますが、とりあえずZFFKの寿命が来たら、その辺は考えることにします。

《ウルトラマラソンと脳の戦い》

実際に100km走る前は、「ウルトラは走力7メンタル3」の力で走るものだと思っていましたが、今となっては「走力3戦略2メンタル3運2」ぐらいの割合なのかなあと思います。
でもって、運を呼び込むために必要なのは「戦略とメンタル」なのかなあと。
そういう意味では、ウルトラは「走力3それ以外のもの7」であるとまとめてもいいのかなあと思います。

ウルトラは一旦諦めると、走力のある方でも、それまでのキロ6以内のペースが、簡単にキロ9〜10に落ち込んでしまう怖さがあります。
フルだと、ある程度の走力のある方なら、壁が来てもせいぜい30kmぐらいからですので、「残りあと10kmちょっと」と思えば、まだごまかしが効くと思いますが、ウルトラで50kmぐらいで壁が来ると、「まだフル1本分以上かよ!」と、絶望的な気持ちになり「大ブレーキ」となってしまうのではないでしょうか。

もちろん諦めるのはメンタルだけの問題ではありません。
突発的な故障、ウルトラならではの内臓系の不調などなど、予期せぬアクシデントは出てきます。
今回どうしようもないアクシデントに見舞われなかったことは、初ウルトラで戦略のしっかりしていなかった私にとっては、運がよかったとしか言いようがないでしょう。

ここからは哲学的な話になりますが、ウルトラマラソンの最大の敵は「自分の脳」であり「自分の思考」であると思います。
テレビで24時間走世界チャンピオンの石川佳彦さんが出ていたとき
(世の中には某チャリティ番組以外でも24時間走という恐ろしい競技があるのです)

脳は僕じゃない

というフレーズが心に残りました。

脳が「疲れている」という「思考」をするから、身体が脳に乗っ取られるわけであって、思考に飲み込まれないことが、ウルトラでは特に重要になってくると思います。

《「諦める」のではなく「明らめる」こと》

ウルトラマラソンというものは、後半は特に体が思うようになりません。
そんなとき、思うがままにならないことを、「根性」や「ポジティブシンキング」で思うがままにしたくなるものですが、多分、そんなものは無駄です。
うんこに生クリームを塗っても、ケーキにならないように、ポンコツな体に「お前はポンコツではない。まだ頑張れる!」と脳に無理に思わせたところで、「脳は僕じゃない」のですから、うんこはうんこであって、ポンコツな体はポンコツな体のままなのです。

大事なのはダメになりそうなとき「うんこでポンコツな自分」を認めることであり、「あー、俺はうんこでポンコツなんだ」とあきらめることなのです。

ただし、この場合の「あきらめる」は「諦める(ギブ・アップ)」ではありません。
物事を「あきらかにする」という意味の「明らめる」です。

例えば、伝説のウルトラランナーであるスコット・ジュレクが、レース中に靭帯を断絶したときのことを、著書「EAT & RUN」からまとめると

・第一のステップ 痛みをそのまま感じる(ここで「痛みは幻」だと思うことは、うんこに生クリームを塗ってケーキだと思うのと同じ)
・第二のステップ 状況を把握する(骨は折れてないか?足に体重はかけられるか?)
・第三のステップ 今の状況を改善するには何ができるか考える(ジュレクは、このまま走って、くるぶしが腫れ上がれば「自然のギプス」になって足が安定するという恐ろしいことを考えたが、多分、私を含め普通の人にはそれは無理。ただ、状況改善のために「今、何をすべきか」ということは冷静な目で考えるべし)
・第四のステップ 焦りや苦しいという感情を頭の中から取り除く。今、やることは速いピッチで足を動かし、着地を軽くすること。

ジュレクは突発的なアクシデントとは戦わずに、それを受け入れ「明らめて」、「今、ここで」できることに集中したわけです。
ポンコツならポンコツなりに、どうやって行けるか、「諦めずに」最善手を考えて、「明らめる」ことがウルトラではフル以上に重要になってくると思います。

私の場合は、ジュレクに比べれば、大きなトラブルもなくどうってこともなかったわけですが、それでも「キロ6で走れなくても、今ならキロ6:30では行ける。それを続けよう」とか、「今ここで、無理したら足が攣る。200mだけ歩いて、そっからキロ7でもいいから走り出そう」と、うまく行かない中でも、「今」できることを「明らかにして」、どうにか対処できたんじゃないかなあと自画自賛しており、思いっきり調子に乗っております。

ウルトラが体力的に優れている若年層よりも、我々のようなおっさん世代がタイムがいいのは、この辺の脳の使い方の差なのかなあと思います。

《最後にどうでもいいこと》

ゼッケンベルトは便利なのですが、風でゼッケンがめくれた関係で、ネットで公開している写真をゼッケン番号で検索しても数枚しかヒットせずに、「100km走ってこれだけか」と悲しいものがありました。
ゴール前でもゼッケンめくれていて、「何番の人でしょうか?」と実況の人に名前呼んでもらえんかったし(なんとかゴールラインでゼッケン整えて、写真ではゴールシーン残してくれてた)。
あと、ゼッケンベルトについてもう一つ。
ベルトのゴムはジェルを挟むのにはいいのだが、スポーツようかんだと細くてずり落ちてしまうようで、気がつけば1本減っていました。
多分、30〜40km地点ぐらいでようかんを落としたと思いますので、もし、拾われた方がいたら、今更と思うかもしれませんが、着払いで私のところに送ってください。よろしくお願いします。

ごきげんよう。

(このシリーズ終わり)

by gossy54200 | 2019-07-15 00:42 | ランニング  

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