今日は前田森林公園でバーベキューをしたわけであるが、
これについては極秘事項であり、ここでの出来事のないことないことを書くと、
明日の我が命はないかもしれないので、ここは自分の命惜しさに全然関係ないことを書く。
バーベキューの帰りに焼肉の臭いをプンプン漂わせながら、コーチャンフォー新川店に寄った。
なんとなく今日は文学系の気分かなと思い、岩波文庫の辺りをウロウロしていたら、
「山月記」というタイトルの本がビビビと目に入った。
そういえば高校の教科書にそんなタイトルのものがあったなあ。
どんな話かは完全に忘れたが、確かきれいな教生のおねえさんにこれ教えてもらったなあと
肝心なことを忘れ、変なことをいつまでも覚えている自分の頭に感心しながら、ページを開いた。
短編なので5分ぐらいで、サクッと読めた。
こんな人の心をえぐる話だったのか、山月記!
まあ、内容をごく簡単に説明すると
「自分の才能を過信して、結局自分の思い通りに行かなかった人間が発狂して虎になった」
という話なのであるが、
当時、自分の運命が思い通りに行かないわけがないと信じていた私にとって、
確かにこれは全く頭に残らない話であったように思う。
というか、世の中の高校生でこれを読んで「ああ、わかるよ」と思う人が果たしてどのくらいいるのだろうか。
バラ色の未来を思い描いている若者に、こんな夢も希望もない話を読ませたところで、
「ケッ、オレ様がこんな落ちぶれるわけあるわけないし、大体虎になるなどありえんだろ!」と説得力がなく、
むしろ、こういう話はある程度の挫折を経験した人間にピッタリの作品であるように思われる。
虎になった主人公が内省的に自分を振り返っている場面で
「臆病な自尊心と尊大な羞恥心」
というフレーズがあり、おお、これは正にオレのことなのではないか、と深く心をえぐられ、
何回も頭の中で反芻し、忘れないようにケータイのメモに記録しておいた。
まあ、私も臆病な自尊心と尊大な羞恥心を持ち合わせていたために、
突然会社を辞めて、1年ほど人里離れたところに身を隠したりしていたりしたこともあったわけだな。
そんでもって、今現在も、臆病な自尊心と尊大な羞恥心は持ち続けているわけだが、
それはそれで、もうその人の性質の問題であり、仕方がないことだと思っているので、
そういう自分を大切にしながら、開き直って生き続けることにして行こう。
結局、山月記は買わないで、
「モーム語録」(行方昭夫)と
「道の先まで行ってやれ!-自転車で、飲んで笑って、涙する旅」(石田ゆうすけ)
を買ったので、これから読もうと思いつつ、今回の日記を終わる。
▲ 山月記・李陵(中島敦)
▲ モーム語録(行方昭夫)
▲ 道の先まで行ってやれ!(石田ゆうすけ)